向日葵

毎日の出来事。そして、嘔吐恐怖症とどうしたら付き合っていけるか考え中です。

Facebookに投稿した文章です

(9月22日に書きました)

 

「嘔吐恐怖症」って聞いたことがありますか…?

来年、農業大学校を受験する。
農学部を目指すか迷ったけれど。
近頃、自分には一体なにができるのか考えていた。

高所恐怖症や閉所恐怖症などの恐怖症は、聞くことが多いかもしれません。でも、嘔吐恐怖症は、もしかしたら聞いたことがないという方が多いかもしれません。私も、自分がそうでなかったら知らずに過ごしてきたような気がします。

自分が吐いてしまうこと、周りの人が吐くことに対して「嫌だ」とか「汚い」とかではなくて「こわくてたまらない」と感じてしまう。簡単に説明してしまったけれど、人によって恐怖の程度や対象は違うようです。
インターネットで調べたら、トラウマとなった出来事があることが多いことを知りました。考えてみました。幼少期から、思い当たることがないわけではないけれど断言できる事が、私にはありません。

小学校低学年の時、学校に行きにくくなりました。
両親は戸惑ったと思います。ぶつかったし、でも向き合おうとしてくれました。小児科でカウンセリングを受けたりもしました。
でも、本当に学校に行きにくい理由は言えなかったです。
「吐く」という言葉を口にするのもこわくてできなかったからです。

気分が悪くなると、過呼吸になって手足がしびれます。
気分が悪くなった、クラスメイトをみると血の気が引きます。
教室から逃げ出したくなるのですが、それはできません。
教室から出る口実を探していました。
気分が悪くなった人に対する心配よりも、そんな気持ちが先に来ることが申し訳ないです。(当時はそう思う余裕すらなかった…)

一番苦手だったのは、給食の時間です。時代もあったのでしょうか。給食は残しちゃいけない、が当たり前だったと思います。食べ物を粗末にしてはいけない。それは、本当にそうだと思う。
でも、無理して苦しそうに食べるクラスメイトをみることに耐えられなかったです。だから、少しずつ学校に行けるようになった3、4年生の時も、給食の時間だけ母に迎えに来てもらって家で昼食を食べて、また送ってもらっていました。
高学年の二年間だけ、なぜだか分からないけれど、毎日学校に行けるようになって、給食も食べられるようになりました。

ただ、家の中では困ったことが続いていました。
私には3歳違う妹がいるのですが、妹の具合が悪そうな姿だけで、自分の方が騒いで、2階や外に逃げて耳をふさいでいました。
両親も、どうしていいか分からずに喧嘩のようになったことも多々あります。
出かけたら、過呼吸を起こして楽しいはずのことも、楽しくなくしてしまった思い出があります。
正直、自分も辛かったとはいえ、あの頃の妹には申し訳ない気持ちでいっぱいです。それなのに今でも、気遣ってくれていることが分かります。ドラマのシーンや、体調不良の話などが出ると大丈夫?という風にこっちをみます。優しい妹です。それは大丈夫。字と、話、リアル過ぎないシーンなら、少しずつ耐えられるようになってきています。

中学生になって、この頃からは「~しなければ」あるいは「~したら」悪いことが起こる、という強迫観念。悪いことを避けるために行う、強迫行為があらわれました。それが、この恐怖症とつながっていたかどうかは分からないけれど、もしかしたら…
周りと関わらず過ごしていたことも、良くなかったかもしれません。自分の内側に閉じこもってしまっていたと思います。

二年生になった時、初めて将来は農業がしたいと思いました。
私の家は農家ではないです。農業の知識も全くないです。
でも、なぜか強く思いました。担任の先生との、出会いが大きかったかもしれません。農業の大切さを教えて頂いたと思っています。

進路を決めるとき、家から出ることを考えました。
この恐怖症は家族に迷惑をかけている。家を出なくちゃ。
また、思い込みです。結果、それはできませんでした。
県外の全寮制の、農業高校に体験入学に行ったのですが逃げてしまいました。県内の農業高校に進みました。とてもしたかったはずなのに、その高校には一週間足らずで通えなくなりました。
そのあともう一つの単位制の高校も中退。
その頃から、生きていく自信がすり減っていきました。
その後、5年かかって通信制の高校を卒業しました。

外出先で、食べることが苦手なこと。
いつ、気分が悪くなって過呼吸になるか分からないこと。
家でも出かけていても、気分が悪くなる人がいないかびくびくしてしまうこと。
胃腸風邪などが流行りやすい、冬が来ることが憂鬱で仕方がないこと。

全部が、恐怖症のせいだとは言えません。
むしろ、辛いとすぐに投げ出してしまう性格の方がずっと影響していると思います。
だけど、恐怖症がなかったら違ったのかなと思ってしまったりもします。

最初に心療内科にかかったのが15歳の時。
それから現在までに8ヵ所以上の心療内科、精神科にかかっています。この恐怖症を知っているお医者さんはとても少なかったです。もしかしたら、現在診て頂いているお医者さんのほかにはいらしゃらなかったかもしれません。

スーパーのアルバイトを3ヵ月。これが私の最長の職歴です。
でも主治医の先生は、3ヵ月しか続かなかったじゃなくて、3ヵ月続けられたという風に言ってくださいました。
薬は松葉杖のようなもので、大切なのは自然治癒力のようなものだとも教えて頂きました。

よく、生きたくても生きることができない人がいるのに……という言葉を目にします。本当にそうだと思う。命の大切さや重さ、ちゃんとわかってる自信なんて全くないけど、そう思います。
だけど、自死してしまった人を責めることはしたらいけない……できないとも思っています。どれだけの苦しみがあったのかは、その人にしか分からないと思うから……。

だから、自分に限った話です。
私は、自死することを自分に許さない。
吐くのがこわいだけで、そこまで思いつめるか?
これも、自分がそうじゃなかったら理解できない気がします。
でも、同じ恐怖症で思いつめている人がいたら、少しは気もちが分かるかもしれません。

夏の間、ほとんど布団の中にいました。
日によって少し程度はちがうけれど、もうだめかもって考えてた。
母を泣かせてしまうことが申し訳なかった。

でも、それと同じくらいどうにかしたいって気持ちがありました。
会ったことも、言葉を交わしたこともないけれど、大好きになった人が、大きな病気を抱えながら今を精一杯生きている。
日本の各地や、海外で、それぞれ踏ん張っているだろう同級生たちがいる。
行動を起こさないと、改善はしないと思いました。
実際、最近起こった出来事でいうと、絶対無理だと思っていた飛行機に乗れた。

この恐怖症は24時間ついてくるから、秋の次はこわい冬がくるから、元気か元気じゃないかといったら元気やないんやけど、誰かの役に立ちたい。農業で何ができるのかまだ全然分からないけど、やってみたい。

今回、嘔吐恐怖症のことを知って欲しくて、私のことを知ってほしくてこれを書いてしまった。
今まで何も言わずにいたから、いきなりびっくりさせてしまった人がいたらごめんなさい。
読んでくれた方、ほんとうにありがとうございます。
個人的な話も多々あって、長くなってしまってごめんなさい。
知ってくれる人がいるというだけで、少なくとも私は少しだけ心がラクになります。シェアして頂いても構いません。